天空だんべぇ石間協議会(埼玉県秩父市吉田石間)

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歩いて 美味しい 思い出に残る 石間郷

『石間郷』の見どころ

城峯山・城峯神社

城峯山頂展望台
城峯山は一等三角点を持つ標高1,038mの山で、県立上武自然公園と西秩父自然公園の境に位置します。
山頂には立派な電波塔があり、この電波塔の中段が展望台となっていて、360度の壮大なパノラマと、関東平野を眼下に一望できる展望は、ハイカー達に大好評です。

城峯神社
山頂直下にある「城峯神社」は、御鎮座1070年の古社です。
平将門伝説によると藤原秀郷が、城峯山に立てこもった平将門を討った後に、城峯神社を建立したと言われています。 城峯神社のご眷属はお犬様=大口真神(オオカミ)で、地元でのお犬様信仰は古く、城峯神社建立以前からあったようです。

城峯神社
城峯神社
また、神社境内には、全国でも珍しい「お猫像」があります。天保7年(1836)造立と推察され、城峯山を長傳寺が管理していた時代、十一面観世音像のご眷属が猫であったことに因むと云われています。また、農産物の貯蓄に害するネズミ退治の願掛けに奉納されたのかもしれません。
城峯神社を訪れましたら、どこにあるか探してみてください。

例大祭の5月3日には神楽が奉納され、日当たりの良い尾根筋にはミツバツツジ、ヤシオツツジが咲き誇ります。
5月3日は山開きも兼ねており、毎年多くのハイカーが麓から参道を登って参拝に訪れます。

 

峰平山 十一面観世音像(沢戸地区)

十一面観世音像
長伝寺十二世であった鉄拳梅英大和尚は明治元年に沢戸へ移り、峰平山を開山して十一面観世音像を安置しました。
この像の由緒は分かりませんが、明治政府の神仏分離令により、城山大権現本坊長傳寺が城峯神社へと変貌するにあたり、梅英和尚がこの十一面観世音像を持ち出して沢戸の光明寺へ移し、翌年、開山に合わせて安置されたものと伝えられています。 現在は光明寺に御堂が建てられ、モルタルの御厨子に大切に安置されています。

 

大正寺 不動明王(沢戸地区)

不動明王
沢戸地区の最奥(北西)まで行くと、車道は行き止まりになります。道路脇に椅子代わりの丸太が並び、高台より石間川の下流が一望できます。 そこから石垣に沿って人一人がやっと通れる歩道を上ると、不動尊と称した小さな御堂がたたずんでいます。
不動明王像は右手に剣を持ち、左手には数珠を持っていたと思われますが、数珠は紛失しています。
両脇には八大童子と呼ばれる眷属のうち、制吒迦童子(せいたかどうじ・向かって左)と矜羯羅童子(こんがらどうじ・向かって右)を従えた「不動三尊像」の形態です。
この御堂は、お隣りに住む○○さんが丁重にお守りされています。

 

吉田石間交流学習館[秩父事件資料の展示](中郷地区)

吉田石間交流学習館
吉田石間交流学習館
石間交流学習館は1階を体験交流学習に、2階を「秩父事件資料館」として資料を展示しています。
展示資料は以下の通りです。
 【1】根岸君夫「秩父事件連作画」20点
 【2】羽田信彌「秩父事件連作版画」40点
 【3】養蚕製糸関係用具等
 【4】事件関係パネルと文書 195点
 【5】研究物と集会資料等

開館日:木・金・土・日(4-12月) ※1-3月は全面休館
開館時間:13:00〜16:00
入館料:大人300円(中学生以上)
    小人150円(小学生以下)
団体割引:20名以上、お一人様50円引き
連絡先:TEL:0494-72-6083(吉田総合支所地域振興課)

吉田石間交流学習館

石間交流学習館の道を挟んで建つ、そば粉挽き用の「水車小屋」

 

稲含神社 奥社(漆木地区)

稲含神社

手前は漆木集会所。奥の三角形のピークが奥社

稲含神社
稻含神社は漆木耕地を見下ろす岩稜の先端に鎮座しておりましたが、大正12年に落雷により全焼したため、現在は麓の諏訪神社境内に御遷座されています。 以降、奥社を訪れる人はほとんどなく、登山道は荒れたままになっていましたが、この度、地元町会の有志により、徐々に整備されようとしています。
この奥社からの眺めは素晴らしく、上流部の中郷、沢戸地区を一望することができます。
漆木集会所より、登り50〜60分の行程です。
(※現在、整備を始めたばかりで、道は不明確で荒れています。登るには地元の方のガイドが必要です。)

 

鼠小僧次郎吉の生誕地(漆木地区)

鼠小僧次郎吉
江戸で文政〜天保に暗躍した鼠小僧は四代目にあたり、本名を新井吉蔵といい、石間漆木耕地の出身だったと伝えられてます。 子どもの頃より身軽で知恵者であった吉蔵が14歳の時に、群馬県にて鼠小僧三代目と引き合わされ、素質を試されたといわれています。 地元の龍昌寺の和尚より読み書き、武術を習い、世の中の不条理を教えられて、貧しき者の味方になるべく19歳で単身江戸へ上ったそうです。
墓がある両国回向院の過去帳には、行年27歳、碑には「鼠小僧次郎吉の墓・俗名吉蔵」と書かれています。

現在生誕地とされる漆木には、霊を祀る石宮と碑、産湯をつかったとされる涸れ井戸、吉蔵のために母が念仏を唱えたという百万遍供養塔があります。
(※地元の方にガイドされないと、分かりにくい場所にあります。)

 

柴崎ロック(漆木地区)

柴崎ロック
地元の柴崎様私有地にある、初級〜中級者向けのクライミングルート。
石灰岩の岩場としては登りやすいルートが数本有り、初心者の講習や、身体慣らしに最適です。
なによりもアプローチが良く、漆木集会所前を鋭角に右に折れ、林道・漆木白岩線をしばらく行くと、左側の路肩に数台駐車可能なやや広い場所があります。
そこから道下へ踏み跡をたどれば、数分で岩場の基底部へ降りられます。
(※個人の民有地なので、ゴミは元より環境保全に気配りして下さい。)
柴崎ロック

山側のみ路肩駐車可(片側のみ)。手前が漆木側、奥が白岩側。

柴崎ロック

マッターホルンに似た形状の小さな岩が、柴崎ロック入口の目印。

 

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